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 「地域新聞」は今年も、乳がんの早期発見・早期治療を啓発する「ピンクリボン運動」に取り組みます。乳がんが女性のがんの罹患率トップという結果を踏まえ、千葉県の乳がん検診の現状や「なぜ乳がんなのか」などを、ちば県民保健予防財団診療部長の橋本秀行さんに聞きました。



  乳がんの場合、10年以上前と比べると、検診法、治療法が全く違うといえるくらい目まぐるしく変化していることをご存じでしょうか。
 乳がんは手で触れても分からない、自覚症状がない早期の状態で発見すれば、ほぼ治ります。私が医師になりたてのころは乳がん患者自体が少なく、検診は問診と視触診が中心でした。視触診はしこりが手に触れられるような大きさにならないと発見できず、その状態はもう早期ではないこと
も多い。現在はマンモグラフィーとエコー検診を併用すれば、早期の段階でほぼ乳がんを発見できます。治療も、以前は乳房を大きく取り除くことが多かったのですが、最近は、縮小手術や再建手術の研究がだいぶ進んでいます。




  乳がんの検診方法として、国では「40歳以上はマンモグラフィーを受けましょう」と勧めています。ですが、それでは十分ではありません。マンモグラフィー検診で乳がんを検出できるのは約7割。つまり、残りの3割は見逃してしまうという結果が出ています。そんな中、千葉県は全国と
比べ進んだ検診を取り入れ、多くの自治体はマンモグラフィーとエコー検診のどちらも行っています。乳腺密度が高い若い年代の方はマンモグラフィーでは乳がんは見つかりづらいのが現状です。今後、乳腺密度に左右されないエコー検診ももっと必要とされるようになってくるでしょう。




とある先生から「乳がん以外の、ほかのがんのことはいいんですか?」と言われたことがあります。3人に1人ががんで亡くなる時代です。当然他のがんで亡くなる可能性は誰にでもあるのですが、年齢別の乳がん罹患率を見ると、日本では40歳代から50歳代が一番高い。この年代の方々
は家庭では主婦であって、母親であって、また企業でも十分な経験を積まれて、必要とされるポジションで活躍されている方が多い。こういった方が乳がんになった場合、長期間治療に専念せざるを得なくなる、最悪の場合亡くなってしまう、というのは社会的に大きな損失です。早期発見、早期治療によって、1人でも多くのこの年代の方が助かる、というのは、命を助けるということだけでなく、社会的にも意義のあることだと信じています。




【プロフィール】 橋本秀行さん
ちば県民保健予防財団 乳腺科 診療部長。
千葉大学医学部臨床准教授。
日本乳癌学会認定乳腺専門医。
日本超音波医学会認定超音波指導医・専門医。





 「地域新聞」は今年も、乳がんの早期発見・早期治療を啓発する「ピンクリボン運動」に取り組みます。乳がんが女性のがんの罹患率トップという結果を踏まえ、埼玉県の乳がん検診の現状や、10月30日に開催される「ピンクリボン・デーinくまがや」について、くまがやピンクリボンの会実
行委員会に話を伺いました。

「日本の乳がん検診の受診率は20%前後。埼玉県では20%以下という数字が出ています。それに対して、オランダは88%、アメリカは81% と軒並み高いんです。日本の乳がん検診事情はまだまだ遅れているといえるでしょう」
 そう語るのは、くまがやピンクリボンの会実行委員長の大久保由美子さん。会が設立されたのは2008年5月。イベント開催も昨年から始め、今年で2回目となる。
 「私たちの団体は、乳がん患者ではない人が多いことが特徴です。125名いる会員のうち、乳がん患者は16名。代表の栗原和江が乳がんになった経験を生かし、無駄にしないよう、患者ではない人も乳がんに対する意識を高く持っています」と大久保さん。
 10月30日に行われる「ピンクリボン・デーinくまがや」は、熊谷駅を中心に行われる。乳がん検診を啓発するために、熊谷駅コンコースから出発するピンクリボンウオークを行ったり、ミニライブを行ったり、お楽しみ抽選会があったりと、各種イベントがめじろ押しだ。
 「昨年初のこのイベント参加者の中から、2名に乳がんが見つかり、啓発活動の意義を再確認しました。まずは10年続けること、そして乳がん検診率を50%に上げることを目標に、活動を続けていきます」
 年齢別の乳がん罹患率を見ると、日本では40歳代から50歳代の女性が一番高い。この年代は、家庭でも社会でも、活躍している重要なポジションにある人が多い。そんな人を早期発見・早期治療によって一人でも多く助けるということは、命を救うことだけでなく、社会的にも意義のあること
だろう。
 大きな役目の一助になるよう、まずはイベントに参加してみては。
日時/10月30日(日)午前9時20分から
受付場所/熊谷駅コンコース
※ピンクリボンウオーク、ピンクリボン講演会は要事前申し込み。
イベントの詳細については、お問い合わせください。
※問い合わせ

048(525)8665
kumagaya.pinkribbon@gmail.com
同実行委員会事務局






 「最近、フラを始めたんです。他にも、ジョギングやエアロビクス、ゴルフ…。一週間ずーっと体を動かしていますね」。そうハツラツと語る天方さんは、4年前に乳がんを発病した。
 ご主人の仕事の都合による海外滞在中に胸にしこりを発見。マンモグラフィーとエコーの検査を受けたが、結果は良性だった。しかし、翌年帰国し、市の検診を受けたところ、がんセンターでの再検査を勧められる。後日、細胞診を受けると、その場でがんを告知された。「その日はどうやって帰宅したのか覚えていないほどショックでした。それまでは健康的な生活を送ってきたつもりだったので、しこりを見つけたときも大丈夫だと思っていましたし、がんに対する知識もほとんどありませんでした」と天方さんは思い返す。
 翌週から、進行の度合いを調べる術前診断を受けるため、通院で検査。CT、MRI、肺への転移や血液の検査、骨シンチグラフィなど、あらゆる検査を受けた。入院していたのは約1週間、術後2日で退院した。
 その後、1カ月間はほぼ毎日放射線治療のために通院。当然体調は万全ではないが、家では中学生と小学生の子の母親として、主婦の仕事はたまっていく。「その際の家族のヘルプには大変助かりました」と家族への感謝の言葉を口にした。当時、環境の変化にとまどったのは、朋恵さんだけでなく、家族も同じ。治療を通じて、家族間の絆や患者本人以外へのケアの大切さを痛感したという。
 病理検査では、腫瘍の大きさが2・3センチだったものの、転移はなく、抗がん剤治療も行わずに済んだ。現在は経過観察中、半年に1回検査する程度だ。
 こうした経験を生かし、最近はがん患者の会での活動にも力を注いでいる。「治療中は、周囲からたくさん励まされましたが、自分がどんどん卑屈になっていくのが分かりました。だって立場が違うんですから。そんな中、入院、通院中の病院で多くの知人ができました。同じ境遇だと安心感があって。2人に1人ががんになる時代です。孤独にならないことと、そして正しい知識を持つことが大切。私自身、そうすることで少しずつ前向きになっていきました」と振り返る。
 今後やりたいことを伺うと、「もう少し子育てが落ち着いたら、何か周囲の役に立てることがしたいなって考えています」と話す天方さんの表情は、元気な笑顔であふれていた。




 残暑厳しい日差しが降り注ぐ9月の昼下がり、乳がん患者を取り巻く環境について、さまざまな角度から話し合おうと、乳がん患者で現在も闘病中の安藤さん(以下、安)、乳がん患者の会「ねむの会」代表の金井さん(以下、金)、4年前に発病し手術をした妻を持つ天方さん(以下、天)の3人と記者(以下、記)が集まり、座談会を行った。

記:乳がんを発見したきっかけなどを教えてください。
安:私は、約4年前に初めて検診を受けました。最初は、何か胸の辺りにコロコロしたしこりのようなものを感じるな…と思っていたのですが、素人考えで、「コロコロしたものは悪性ではない」と勝手に思い込んでいました。取りあえず、マンモグラフィーの検査を受けると、医者からは「見た目には悪性には見えないですね。たぶん良性の腫瘍でしょう」と言われました。しかし、念のために調べたほうがいいということで、別の病院で検査を受けたところ、悪性ということが分かったんです。
天:私の家内も、安藤さんとほぼ同時期に発症しました。ただ、彼女の場合は、私の仕事の関係でオランダに滞在している時に受けたマンモグラフィーとエコー検査の後で、現地のお医者さんから「大丈夫。良性です」と言われていたので、特に何もしなかったのですが、帰国後、やはりおかしいと思ったのか、節目検診を機に細胞検査を受けると、悪性であることが分かりました。
金:私は15年前に右胸の全摘出手術を受けました。風呂上がりにしこりがあるのに気が付いたのですが、視触診だけで100パーセントがんであろうと言われました。

記:検査結果が出た時のご家族の反応は?
天:いつも元気な妻が「えっ? まさか?」といった感じでしたね。それから、いろいろなことを考え、インターネットで調べたり、どうしたら本人の気持ちになれるのかなどを調べてみましたが、やっぱり本人にはなれない。でも、一緒にがんと戦う気持ちではいました。
安:私は、子どもが3人います。当初、一番下の子はまだ幼稚園児でした。どうやって子どもたちに話そうかと夫と何度も話し合って、夫の口から話してもらいました。子どもたちは、ショックもあったようですが、すぐに「みんなでがんばろうね」と言ってくれましたよ。

記:検査をしてから、手術をするまで期間はどれくらいですか?
安:私は、検査して分かってから、2週間後には手術でした。手術時間は、1時間半くらいでしたね。私は麻酔で眠ってしまっていましたが、家族にとっても、そんなに長い手術ではなかったのではないでしょうか。翌日には普通食も食べていました。3日後には退院ですからね。「これが本
当にがんの手術?」って感じでした。
金:私の場合は、乳房を切除しているので、もう少し時間がかかりましたが、それでも入院は8日間でした。

記:その後は、どのくらいの頻度で検査に行っているのですか?
安:私は、1年後の検査で、腫瘍マーカー(※)が上がっていたので、全身の検査を受けました。骨に転移が認められ、現在でも月に3回、抗がん剤を点滴するために病院に通っています。
天:妻の場合は、術後は今のところ転移がないということで、半年に1回検査を受ける程度です。

記:今後、伝えていきたいことは何ですか?
安:乳がんは、本当に誰でもなりうるものだということですね。そして、がん=死ではないとい
うことも同時に伝えたい。私の子どもは、「がんになっても死ぬわけじゃないんだ」と明るく話しますよ。がんの転移があっても、こんなに元気にしている母親を子どもたちは自慢してほしいですね(笑)。
金:乳がん患者は、他の病気もそうであるように、いろいろなことに悩み、不安を抱えると思います。でも、とにかく前を向く勇気と立ち上がる強さを患者自身が持つことが大切だと思うんです。それを周りがじらしたり、強要したりすることは禁物です。周りが上手に支えてあげてほしいと思います。検査を受けてない方には、とにかく早期検査、早期発見を伝えていきたいです。

記:「乳がん」とは、あなたにとってどんな存在ですか?
安:そうですね…私はまだ闘病中ですから。一生治ることはなく、これからも上手に付き合って
いかなければならない存在かな。自分の体の一部ですからね。いつも「あまり大暴れしないでね」って語り掛けているんですよ。
天:「がん」って、風邪のようにウイルスか何かに感染してうつってしまったものではないし、彼女の体が発信したなんらかのシグナルだったと思うんです。私にとっては、彼女がこうした病気を
したことによって、妻として、子どもにとっては母親としての存在の大きさに気付かされました。「この人に、こんな思いをさせたくなかったな」と思いましたし、「できることなら代わってあげたい」とも思いましたよ。もちろん、恥ずかしくて本人には言えませんけどね(笑)。
金:私は、たぶん乳がんにならなかったら、子どものため、夫のために一生をささげる人生だったと思うんです。金井弘子としての人生の楽しみは、どれだけ味わえたかな?と思います。でも、がんになったことで周りも変わりました。乳がんは、私が妻や母親として「いつまでも元気ではない」ということを家族にも気付かせてくれたし、私にも残りの人生は「自分のために使っていいんだ」と思わせてくれました。

 がん患者の会というと、何か重い空気が漂う座談会になるのかと思いきや、まるで昨日見たテレビ番組の話か何か、楽しいことを話しているかのように明るく笑いの絶えない座談会となった。彼女たちのキラキラと輝く人生が、私たち一人一人に優しく、そして明るく「自分の体を大切にね!」と語り掛けてくれているようだった。
(さざなみ)


※腫瘍マーカー
がんが産生する特徴的な物質で、体液中で測定可能なもの。臨床検査の場で、進行したがんの動態を把握するために使われる。

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